自分と金のためだけに生きてきた。

 Aさんの人生は波瀾万丈という言葉がぴったりだ。箕面市出身、大学で東京へ。一旗あげてやろう、という気持ちもあったらしい。
 「でも東京行ったら、上には上がおるんやなと。一番にはなれんもんやなと思いました」
 20歳のときに、悲しい出来事が起きる。親友が交通事故で亡くなったのだ。
 「まぁ66年間も生きてたらいろんなことありますわ」
 大学を卒業し、24歳からは有名なコーヒーメーカーに就職。営業として日本全国を飛び回った。まだ取引がない地域に先陣を切って行き、自動販売機を売ったり、喫茶店に売り込んだり。今日はこの道路、とターゲットを決めたら、道路の両脇の住宅1件1件に声を掛けて回るローラー作戦を同僚等と実行したらしい。このときに営業のノウハウを学ぶ。
 「売れるまで帰って来るなって言われてたから。詐欺と紙一重みたいなこともありましたよ。売り上げが1000万円に行ったら、また別のエリアへに行って。もう朝から晩までずっと働き通しでしたね。んで休みの日は接待ゴルフでしょ。ほとんど家にはいなかったな。自分と金のためだけに働いてた。箕面市で家も買ったんですよ。30のときに。1900万円の一戸建てですよ」
  きっと幸せな家庭を夢見ていたに違いない。このページを見ると子育てに向いている場所のようだ。

 「そんな風に働いてたら、体をこわしたんです」
 38、9歳の頃、急性腎臓病で1ヶ月ほど入院。その頃奥さんと離婚する。子供は2人。結婚生活は10年ほどだったそうだ。その後また仕事に復帰。42歳、札幌支社にいた頃、車の運転中にハイドロプレーニング現象が発生。ブレーキがきかなくなり、4、5回転して電柱に激突。車は大破した。「あと10センチずれてたら危なかった」が、奇跡的に無傷だったらしい。
 「そのとき神様はいるって思ったなぁ。それまで全く信じてなかったけど。そのときに亡くなった親友を思い出した。あいつは死んだのに、俺は生きてて、なんでやろうなって」
 コーヒーメーカーでの仕事を辞めた後、45歳で軽い脳梗塞を発症。右足はほとんど大丈夫だが、今も右手はちょっと動きにくい。リハビリをしながら渋谷に立ち、今と近いようなことをやっていたそうだ。
 「相性診断できるから。営業やってたときに知り合いに教えてもらってね。占いじゃないよ。占いは本読んだら誰でもできるでしょ。東京でやってたときは、お金取ってたんですよ」
 相性診断については、少し教えてもらったのだが私自身の理解が及ばず詳細は不明。

 療養後、予備校の事務員として働き始める。60歳になり退職。東日本大震災の現場で二ヶ月ほどボランティア活動をする。
 「費用は全部自分持ちやったからね。40~50万円使ったんちゃうかな。戻ってきてからお金欲しいなと思って、旅館で住み込みの仕事をしました。番頭さんの手伝いみたいなやつ。箕面市に〇✕旅館ってあってね。老舗の。そこで4年ほど働いて。毎月4万円は貯金しましたよ。何にもないとこやからね。で、2015年11月中旬に箕面市に戻って来たんです」
 戻ってきてからしばらくして、ボランティア活動を開始したということらしい。