「街の人生」を読んで気付いたことがある。本名も知らない人に話を聞いているにもかかわらず、聞き手に何の疑いも感じられないことである。時系列にも並んでいなければ、矛盾しているところもあり、少し意味がわからないところもある。それでも、その人が語る、その人の人生そのままを記録している。私はAさんの話の裏を取ろうと必死になっていたが、そんな必要はなかったのかもしれないと思い始めた。Aさんが語るのは、他でもないAさん自身の人生なのだから。そう考えてインタビュー内容をもう一度見てみると、Aさんの言葉が引っかかってくる。
「働かれへんからね」、「右手がこんなんやから働けないでしょ」、「仕事もできないから」
家にほとんど帰らないほど働き続けた日々。それと対照的に働いていない今に対するやるせなさ。
「今は贅沢しなければ生活していける。変な話、ここでこうやってたらお金を使わない。飲み物飲むにしても100円とか200円でしょ。お昼ご飯、晩ご飯は家で食べるし。たまに通る人がお弁当くれたりするんよ。コーヒーくれる子もいるね。話聞いてくれてありがとうってお金をくれる人もいるんですわ。断るんやけどね。どうしてもって言うときはもらうけど」
人のため、でもそれは自分のためでもある。
人の相談に乗ることで自分の気持ちが消化されるようなことはありますか?と質問したところ、「人に言いながら自分に言い聞かせてるようなところはあります。自浄作用っていうんかな。きれいになる気がするし、一緒に元気になる気がする」との答えが返ってきた。
「この前は裁判官の人が来てね、とてもいいことをされているから是非頑張ってくださいって。高齢者の犯罪なんかが増えてるらしくて、社会と断絶すると良くないらしい。万引きに走ったりとか?地域の見守り隊みたいなんが、独居老人の家に行って話し相手したりするらしいけど、嫌がる人もおるって。向こうの都合で来るでしょ。それが気に食わんらしいわ。寂しかったら喫茶店でも居酒屋でも行ったらいいけど、どこに行くにもお金がかかるしね。僕がやってるのは無料やし、自分の好きなタイミングで来られるから。とにかく続けて頑張ってくださいって言われたんです」
これはボランティアとしてのAさんにはもちろん、66歳一人暮らしの男性にとっても当てはまり、響く言葉ではなかったか。働けない、社会に出ることができないと感じている自分が、社会とつながる方法が、街頭に立ち続け、誰かの話し相手になることだったのではないか。
「ひとまず3年は続けたいと思ってるんです。その後はまだちょっとわからんなぁ」
ちょっと気になって、夢とか野望とかありますか?と聞いてみた。
「うーん。あ、大阪市長選とか出たいですね。『今一度、大阪を洗濯致し候』。これどうですか?」
・・・・・・やはり、少し変わったおじさんなのかもしれない。