Aさんは、2016年5月から活動を開始したそうだ。
「きっかけは友人ですわ。ホテルで料理長をやってた男が友達にいましてね。そいつが、料理を作るボランティアやってたんですよ。『お前もボランティアせいや。昔はどうせ悪いことしたんやろ』って。その話聞いて、そうやなって。どうせ暇やし、ちょっとは人のためになることやろうと思ったんです」
こうして始まったAさんのボランティア活動だが、当初は全く人が来なかったらしい。
「4、5日くらいかな。ここで立ってたんですけど、誰も話しかけてこんのです。あーこれは人通りが少ないんやな思て、阪急電車に向かう信号のとこあるでしょ?あそこに立ってみたんやけど、そしたら今度は知り合いがようけ通って。『おーA!何してんねん!』て話しかけられて、ボランティアしてる場合ちゃうな言うて、戻ってきたんですわ。5月に始めて、7月の初旬までだーれも来ませんでした。ただ3ヶ月間は続けようと思ってたんと、曜日、時間、場所を決めておったら印象に残るんちゃうかって友達からアドバイスもらって。だから木・金・土の12時頃からあの場所に。日曜日は予定があるときもあるから、出たりでなかったり。夜は夏場は明るいから6時半とか7時くらいまで。冬は5時くらいまでですかね」
誰も来ない日々。どう思っていたのだろう。
「何でかなって来ない理由を考えてましたね。やってることは疑ってなかった。あるとき、服装かなって思って。もしかしたらルンペンに間違われてるんちゃうかと思ってね。安いTシャツ着て、安い靴履いてたから。だからワイシャツにネクタイしたりしたこともありました。それでもまだ来なくて。さては宗教の勧誘に間違われたかと思って。でも、前から来る人がこっち見て、くすくす笑うんですよ。あぁ、笑うってことは反応があるってことやなと。いつかは来るやろうと思ってたら、来るようになったんです。継続は力なりですわ」
気になる話の内容は?
「大体の第一声は『おっちゃん何してんの?』です。道を聞かれることも結構あります。『たこ焼きうまい店知らん?』とか『北新地どこ?』とか。話は何でもいいですからね。それこそ下ネタから政治の話までなんでも。大変ですよ。彼氏欲しいんですけどどうしたらできますか、とか。外国人留学生が話しかけてくることもあります。日本語の勉強したいとかって。重たい話だと、この前は50代くらいの女の人が来て、子供が亡くなって悲しくて辛くて、どうしたらいいかわからないっていうんですよ。そこでね、お釈迦さんの話をしたんです。あるお母さんが子供を亡くして、お釈迦さんに子供を生き返らせて欲しいって頼みに来るんですよ。それでお釈迦さんは、『わかりました。でも一つ条件があります。村を回って死人が一人も出ていない家からケシの実をもらってきてください』と言って、そのお母さんは村中の家を回るんですよ。でもケシの実はあるけど、死人の出てない家がない。そこで気付くんですね。私一人じゃない、みんな誰かを亡くしてるんだって。そんな話をしました。そしたらそうかそうかって。で、『でもね、奥さん。人は二回死ぬんですよ。一回目はこの世からいなくなったとき。二回目は奥さんが忘れたときです。奥さんが覚えている限り、奥さんの中では生きてるんですよ。だから忘れないであげてくださいね』って。そしたらぼろぼろ泣いて。ありがとうございましたって帰られましたけどね。その後多分その奥さんが話したんでしょうね。知り合いだという方が私のところへきて、『おっちゃん、ただ者ではないな』って言うんですよ。いやいや私はただ者ですって言ったんですけど」
まんざらでもなさそうだった。